【写真の本】ロラン・バルト 『明るい部屋』を読んだ感想
久しぶりに本についての記事を書こうかと。
読んだ本の内容をすぐ忘れてしまうのですが、少しでもアウトプットしておくと記憶の定着率が全然違う気がします。
今回は写真論の名著、ロラン・バルトの『明るい部屋』です。
ロラン・バルト『明るい部屋』感想
※素人が読んだ印象を備忘録的につらつらと書いています。ちゃんとしたレビューや解説は他に無限にあるのでそちらをご参照ください。
『明るい部屋』はバルトの後期の作品です。バルトが実際の写真を前にして、自身の心の動きから写真の本質に深く入っていく構成になってます。哲学書というよりも随想という感じ。
同じバルトの写真論では『映像の修辞学』という本がちくま学芸文庫で出ていますが、こちらに比べると『明るい部屋』は平易な言葉づかいで読みやすいです。
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みすず書房の本ってわけもなく手元に置いておきたくなります。全体的に高いけど… これはiphone8で撮影。 |
・ざっくりまとめ
バルトはまず、写真の本質は
- 対象を抽象化したり解釈することなく、ありのままを余す事なく記録する
- 対象が「かつて現実に存在した」ことを証明する
という点にあり、これが絵画や映画から写真を区別するといいます。
現実をそのまま映すことから、たとえば肖像写真をどんどん拡大すればその人の実像に迫れるのではないかと錯覚させます。しかし、写真はあくまで客観的に対象を「見せる」だけで、その人が実際にどんな人なのか、その人のもつ「雰囲気」といった本質については語ってくれません。
このあたり、バルトが亡くなったばかりの母の写真と向き合う中で語られるので痛切な説得力があります。
写真は事実を示すけれど、どんなに解像しても対象の本質については語らない。
しかし、その人が生きていた時の「雰囲気」、バルトの言葉でいえば「自負心が消えたときに示される」本質が、偶然写真のなかに写りこむことがあります。
このときに写真に生命が宿るというのです。
バルトはこれを、誰が撮ったかもわからない、バルト自身が生まれる前に撮影された母の少女時代の写真に見出します。
これには経験的にもとても共感できます。きちんとした記念撮影よりも、偶然画面の隅っこに移りこんだ横顔、ふとした表情、身に着けていたものなどから活き活きと思い出がよみがえったりする経験はあります。
自分とは異なる時代や場所で撮影された写真であっても、なぜだかものすごく心惹かれるときがあります。
バルトの言葉でいえば『ここに住みたい』と思わせられるような異国の古い家の写真とか。
写真を見てこうした感情にさせられるのは、撮影者が意図してつくった構図や色調とは関係なく、写真のもつ細部が偶然自分に引っかかってくるということなんですよね。
※これは「プンクトゥム」という言葉で表現されており、美術史上とても重要な概念のようです。
わたしが解説できるようなものではないため、興味をお持ちでしたら調べてみてください。
・読んで考えたこと
さて、バルトの言葉には共感できるものの、趣味で写真を撮影し、少しでも上達したいと考えている身としては、「写真の本質が偶然性」といわれるとなかなかどうしてよいかわからない気持ちになります。
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Agfa Optima 1035 Sensor/Oriental New Seagull 100 |
SNSでバズる写真というのは、「個別性」「偶然性」とは真逆の方向をいっているなあと思います。
絵画のような写真、アニメのような写真、シネマティックな写真という言葉がトレンドになっているように、SNSにおいては「真実を写す」という写真固有の性質それ自体にはすでに価値がおかれていないんだろうと思います。写真に写る「現実」を素材に、それを絵画のように加工して抽象化することで、現実を実際よりもきれいなイメージとして消費するのが現代のSNS写真なのかなあと思います。(それが悪いというわけではないです)
ただ、わたし自身の志向としては、偶然性が心を突き刺してくるような写真に惹かれるし、そういう写真を撮りたいと思うところです。
これは完全に個人的な感情なのですが、フィルムカメラで撮る写真にはちょっとだけそうした「偶然性」の入り込む余地が大きいのではないかな、と感じています。
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Konica C35EF/KodakGold200 |
どうすれば写真に生命を与えられるのか。あまりにも壮大な問いですが、一回性が写真の本質ならば、とにかく目の前にあるものを撮らねばらならない、という気はしています。
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